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横浜市建築・建造物 |
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関東学院中学校旧本館 |
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関東学院中学校旧本館は,神奈川県横浜市南区にある1929年(昭和4年)に建築された関東学院中学校の旧本館です。鉄筋コンクリート造3階,地下1階建の建物で,中世ヨーロッパの城郭風の印象,斜め十字模様のレリーフ,銃眼風のパラペット等が特徴的です(関東学院中学校高等学校HP引用)。 |
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関東学院中学校旧本館の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧イギリス七番館 |
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旧イギリス七番館は,神奈川県横浜市中区にある1922年(大正11年)にイギリスの貿易会社横浜支店として建設された建物です。現在では,外国商館唯一現存在している建物だそうです(タイムスリップよこはまHP引用)。 |
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旧イギリス七番館の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧内田定槌邸 |
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旧内田定槌邸は,神奈川県横浜市中区にあるニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使等を務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として東京都渋谷区南平台に建てられた建物です。1910年(明治43年)竣工の木造2階建,塔屋付,天然スレート葺の屋根,下見板張りの外壁で,華やかな装飾が特徴的です(横浜市緑の協会HP引用)。 |
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旧内田定槌邸の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧エリスマン邸 |
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旧エリスマン邸は,生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した,スイス生まれのフリッツ・エリスマンの邸宅として1925年(大正14年)から1926年(大正15年)にかけて山手町127番地に建てられた建物です。設計は,「現代建築の父」と言われるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです(横浜市緑の協会HP引用)。 |
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旧エリスマン邸の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧神奈川県測候所 |
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旧神奈川県測候所は,1927年(昭和2年)に神奈川県営繕管財課の設計により建設された測候所です。関東大震災の震災復興建築であったことから簡素な造りではあるものの,アール・デコ的なデザインが施された玄関部分等,時代的な特徴を残す建物です(国土交通省HP引用)。 |
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旧神奈川県測候所の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧スウェーデン領事公邸 |
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旧スウェーデン領事公邸は,神奈川県横浜市中区にある昭和初期に建てられた木造2階,コンクリート造地下1階建の建物です。 |
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旧スウェーデン領事公邸の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧中澤邸 |
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旧中澤邸は,神奈川県横浜市中区にある横浜・戸部村の大工によって,1909年(明治42年)に5年の歳月をかけて建築された横浜に現存する明治時代唯一の木造西洋館です。広大な和風の屋敷の洋間として誕生したこの建物は,ジャーマンクラシックなデザインと設計等は全て日本で行われましたが,パーツの一部は海外から輸入する等,ハイブリットな構成がなされています(中澤事務所HP引用)。 |
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旧中澤邸の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧花園橋親柱 |
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旧花園橋親柱は,神奈川県横浜市中区の横浜市立港中学校にある門柱です。震災復興事業の一環で派大岡川に架けられた花園橋の親柱を横浜市立港中学校に移設したもので,高さ約2.8m,一辺約1.2mの石柱と高さ約1.1mの鋳鉄製照明部から構成されています。横浜市における震災復興橋梁中の親柱としては最大規模です(国指定文化財等データベースHP引用)。 |
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旧花園橋親柱の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧ベリック邸 |
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旧ベリック邸は,神奈川県横浜市中区にあるイギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として1930年(昭和5年)に設計された建物です。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後,1956年(昭和31年)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され,2000年(平成12年)まで,セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました(横浜市緑の協会HP引用)。 |
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旧ベリック邸の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧山手68番館 |
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旧山手68番館は,神奈川県横浜市中区にある1934年(昭和9年)建築の震災後に建てられた外国人向け賃貸住宅の一つです。木造平屋建で下見板張りと開放ベランダを持つバンガロースタイルの源流を留めています(じゃらんnet観光ガイドHP引用)。 |
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旧山手68番館の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧横浜英国総領事公邸 |
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旧横浜英国総領事公邸は,神奈川県横浜市中区にある1937年(昭和12年)に上海の大英工部総署の設計によって,英国総領事公邸として現在の地に建てられた建物です。鉄筋コンクリート造2階,地下1階建で,広い敷地と建物規模を持ち,東アジアにある領事公邸の中でも上位に格付けられていたそうです(横浜市緑の協会HP引用)。 |
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旧横浜英国総領事公邸の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧ラフィン邸 |
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旧ラフィン邸は,神奈川県横浜市中区にある1926年(大正15年)にアメリカ人ラフィン氏の住宅として現在地に設計された建物です。設計者は,旧ベリック邸を設計したJ.H.モーガンで,玄関前の3連アーチが同じ意匠ですが,こちらは天井が無くパーゴラになっている為,異なる印象を与えています(横浜市緑の協会HP引用)。 |
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旧ラフィン邸の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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旧露亜銀行横浜支店 |
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旧露亜銀行横浜支店は,神奈川県横浜市中区にある1921年(大正10年)頃にイギリスの建築家のB.M.ウォードの手によって設計され,関東大震災で横浜市内の多々の建物が崩壊されていく中で唯一残った神奈川県において外資系建物唯一の建物です(タイムスリップよこはまHP引用)。 |
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旧露亜銀行横浜支店の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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ジェラール水屋敷地下貯水槽 |
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ジェラール水屋敷地下貯水槽は,神奈川県横浜市中区にある幕末から横浜に居留したフランス人ジェラールが経営した船舶給水業の施設跡です。兼営したフランス瓦煉瓦製造工場の地下に築造され,谷戸の湧水を集めて貯水したそうです(国指定文化財等データベースHP引用)。 |
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ジェラール水屋敷地下貯水槽の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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ブラフ18番館 |
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ブラフ18番館は,神奈川県横浜市中区の関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅跡です。戦後は天主公教横浜地区の所有となり,カトリック山手教会の司祭館として1991年(平成3年)まで使用されました。フランス瓦の屋根,暖炉の煙突,ベイウインドウ,上げ下げ窓と鎧戸,南側のバルコニーとサンルーム等,震災前の外国人住宅の特徴を残しながら,外壁は震災の経験を生かし,防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっています(横浜市緑の協会HP引用)。 |
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ブラフ18番館の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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ホテルニューグランド本館 |
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ホテルニューグランド本館は,神奈川県横浜市中区にある1927年(昭和2年)竣工のホテルです。開業時から,チャーリー・チャップリンやジョージ・ハーマン・ルースといったスター,皇室や英国王室といった賓客が数多く訪れています。また,1945年(昭和20年)に来日直後のマッカーサーが滞在したことでも知られており,マッカーサーは第二次世界大戦前,新婚旅行でもこのホテルに滞在しているそうです(Wikipedia引用)。 |
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ホテルニューグランド本館の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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横浜指路教会 |
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横浜指路教会は,神奈川県横浜市中区にある1874年(明治7年)9月13日,アメリカ長老教会の宣教師ヘンリー・ルーミスを初代牧師として設立された教会です。教会は,最初の横浜居住地39番から,現在地,太田町,住吉町を経て1892年(明治25年)再び現在地に戻り,赤レンガの教会堂が建てられました。現在の教会堂は,1923年(大正12年)関東大震災によって倒壊した後に再建されたものです(横浜指路教会HP引用)。 |
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横浜指路教会の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |
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横浜山手聖公会 |
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横浜山手聖公会は,神奈川県横浜市中区にある教会です。1863年(文久3年),初代クライストチャーチの聖堂が横浜居留地105番に,1901年(明治34年)には2代目の建物が現在地に完成しました。しかし,1923年(大正12年),関東大震災により建物は崩壊し,1931年(昭和6年)アメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により3代目の聖堂が建立されました(横浜山手聖公会HP引用)。 |
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横浜山手聖公会の正面の様子です。[撮影日:2012年4月12日,機種:iPhone 4S,アプリ:Camera+] |